Smoke – 映画系ダイアローグ・マガジン

煙草の煙に目を細めると、照明を浴びたり、隠れたり、表と裏をいったりきたりする魅力的な人たちがいる。映画からそのほかのジャンルまで、愛すべき人たちにクローズアップする、ダイアローグ・マガジン。

【Action Inc.代表 比嘉世津子】「お互いの好奇心を掛け合わせれば」

聞き手:原田満生 写真:Sai 文:大谷道子

INDEX

  1. 世の常識を覆す映画を
  2. 「ラテン系」は明るくない
  3. 貧乏で何が悪いの?
  4. 映画は特別なものになる

S=比嘉世津子 / H=原田満生

「ラテン系」は明るくない

H
ねぇ、比嘉さんの職業って何なの? 通訳とか翻訳とか、会社経営とか、いっぱいあるじゃないですか。それで、縁あって映画の配給まで始めるわけで。
S
まあ、できるかどうかわかんないけど、始めちゃって。
H
えいやぁ! でやっちゃって。本当、えいやぁ! の人だよね。「何とかなるだろ」みたいな。
S
っていうか、「ダメだったらやめればいいじゃん?」って。
H
経歴もすごいんだよね。役者だったんだから。
S
元ね。超・元。
H
舞台の役者やってたのが、嫌になってツアコンになったんだっけ?
S
違う違う。ツアコンはその前。もっと前はメキシコで日系企業に勤めてた。20代。半年で辞めたけど。
H
何で?
S
もうね、たまらなくダメだったのよ。日本的組織ってヤツが。あの人たち、世界のどこにいようが日本的なのよ。メキシコ人が労組作ろうとしたとき、彼らがそれを潰したんだけど、私、会社側の通訳なのに暴れたもんね。「お前らこんなの違うだろ!」って。まだ若かったんで。
——
暴れちゃいましたか。
S
うん。だって、どうやって話をすり合わせようかっていうことなのに、日本人は何もしないんだもん。「わかんない」とか言って。それで皆がやる気なくなって、怒った挙げ句に「お前ら、トウモロコシばっか食ってるからそんなふうになるんだ!」って。
H
ひでぇなぁ。
S
言った人だって、悪い人じゃないのよ? でも、本社からの圧力があるからそうなっちゃう。私、その人にスペイン語教えてたんで、「それは自分で言ってください。私は言えません」って言った。だって「お前ら米ばっかり食ってるからだ」って外国人に言われたらどう思う? 通訳だって人間だからね。ロボットじゃないんだから。
H
うん。
S
何回も喧嘩して、だからもう通訳には向いてないと思った。語学を利用して何かするのはいいけど、通訳だけは無理だって。
H
それで、ツアコンか。そのツアコンも、すっごい特殊なやつなんだよね。
S
そう。秘境ツアー。旅行会社の正社員が誰も行きたがらないような(笑)。「グアテマラ・インディオ10日間の旅」とか、私、何回も行った。英語も通じない、超キツいやつ。そもそもツアコンで最初に送られたの、チャウシェスク1がいた頃のルーマニアだからね。こんなときにルーマニアに行きたい人がいるんですか? と思ったんだけど、何か、皆さん能天気に、ドラキュラのトランシルバニア城とか、行きたがるわけよ。
H
フフフ。
S
私、メキシコとかで暮らしてきたから、危ないときは皮膚でわかるのよ。それなのに、オーバーブッキングで走り回ってホテルを探したり、ガイドやドライバー相手に移動中のバスの中でドル渡して交換したり……。
——
へぇーっ。
S
首都はさすがに緊迫した感じなんだけど、でも田舎に行くと、わりと呑気な感じで、ワインとか飲んで踊ってるわけよ。おばちゃんのひとりに「心配じゃないの?」って聞いてみたら、「チャウシェスクって誰?」って言ってた。
H
ハハハ! すげぇなぁ。
S
でも、ああこれは強いなって思った。要するに、誰が権力者になったとしても、自分たちはこの生活をするんだっていう強さ。
H
通訳やって、ツアコンやって、役者やって……それで何で配給? あんまり映画って要素がないじゃん、人生に。もともと好きだったの?
S
もちろん。自分のお小遣いで最初に観に行ったのは『燃えよドラゴン』(73年)だけど。あと、親に連れられて『2001年宇宙の旅』(68年)とか。
H
ああ、一緒だよ。世代。
S
それこそ大学時代は、今は亡き京一会館2で3本立てとか、ずっと観てたよ。
H
じゃあ海外に行っていろんなつながりができて、それで現地の映画を紹介してみよう……みたいな?
S
あ、ぜんぜん違うの。留学は1年間、メキシコに、大学のときに留学してたんだけど……。
H
思い出した、アフリカで結婚したんだっけ?
S
違うよ! また話が飛ぶ!
——
結婚して、アフリカに行かれたんですよね。
S
素晴らしい、よくわかってる! そう。ケニアのナイロビ大学に。
H
そこで、言葉もわかんないのに空手教えたんだよね。
S
少林寺拳法。
H
ほら、けっこう合ってるじゃん、俺の記憶(笑)。
S
酔っ払ってるわりには聞いてるよね、フフフ。で、何で映画をっていうのは……メキシコにいたときにすごく古い映画を観たんですよ。テレビで。メキシコ人、当時は映画館に行けないから、テレビで映画を観るときは家の灯を全部消して、まるで映画館のようにして観るの。
H
素晴らしい。
S
そこで観たのが『紙の男』3。60年代の作品で、ごみ拾いをしている聾唖の男が、ごみの山のなかで大金を見つけて、その人生が変わっていく話。何度観ても号泣で、こんないい映画がメキシコにあったんだ! って思ったの。それまでメキシコ人が撮った映画って観たことなかったんだよね、たぶん。街の映画館じゃB級のドンパチしかやってないし、『メキシコ万歳』(79年)のエイゼンシュテイン4だって、ロシア人だし。
H
うん。
S
『赤い薔薇ソースの伝説』(93年日本公開)なんかは、ずっと後でしょ。実はメキシコ映画の黄金時代は60年代だったっていうのを知って、それからいっぱい観て……。そのあと日本で芝居やったりしたんだけど、芝居やってる人って、実は映画が好きなんだよね。皆。本当は映画がやりたいけど、お金がない。
H
そうだよね。
S
で、あるとき自分のプロデュース公演で、演出家が途中で逃げてポシャっちゃったときに、それまで持ってた自分のああやりたい、こうやりたいがフーッと消えちゃって、なーんもなくなっちゃった。そのときに、急に「そうだ、キューバ行こう!」と。
H
突然キューバ、っていうのがね。行ったことなかったのに?
S
なかった。で、なーんのツテもなく、突然行きましたと。2003年かな。
H
どうしたの。右も左もわかんないじゃん。
S
12月にキューバで映画祭があるのは、知ってたんだよね。新ラテンアメリカ国際映画祭。その前から、スペイン語圏の監督が来たとき通訳をしたことがあって、映画業界の人を少しは知ってたんだけど、周りからは「そんなとこ行ったっていい映画なんか見つかるわけないじゃん」って言われてた。
——
当時は、まだそうだったんでしょうね。
S
そう。で、見つかったとしてもあんたに売ってくれるわけないって。でもまぁ、行ってみたらホンットに、変なヤツらばっかりがいて……それからよ。
H
ってことはさ、きっと比嘉さん、人種的に合ってたんだよね。南米と。
S
うん……っていうかね、悪いけど、メキシコは北米だし、キューバはカリブ海だし、今話題の移民キャラバンのホンジュラスは中米だからね。南米はもっと南! ラテンアメリカっていうのは、北中南、全部ひっくるめてラテンアメリカなの。いまだにニュースで「南米のメキシコでは」なんて言うから、メキシコは北米じゃー! って怒ってる(笑)。
H
すんません。
S
それに、日本人って、キューバ人は全員踊れて楽しいヤツ、みたいな思い込みがあるじゃん? でも、踊れないヤツだっているんだよ。あと、メキシコ人なのに超暗いヤツもいる(笑)。
——
「ラテン系」なんて、つい言っちゃいますね。
S
キューバで出会ったメキシコ人の税理士、すごく暗いんだけど「僕はメキシコ人は基本的に皆暗いと思ってる」って。私もそう思う。暗くて、どん底まで行くから、あれだけパーッと弾けられるんだよ。マリアッチでも何でも、全部短調だからね。長調じゃない。アルゼンチンに至っては、精神科医が世界で一番多いんだから。
H
へぇーっ。
S
そうよ。だって、自分たちのルーツは皆、海を渡ってきた人間で、その中で軍事独裁とか受けてたわけじゃない? そりゃあいろいろトラウマになるわよ。だから、いい映画が作れるんだよね。
H
そうか。で、そんなラテンアメリカの映画を配給しようと。
——
1本目が『永遠のハバナ』(05年日本公開)ですよね。移転前のユーロスペースで。
S
この作品、すごく評判だったけど、私へそ曲がりだから、そういうのは別にいいやって思ってた。ただ、向こうで、キャパ1500くらいの古い映画館で観たとき、電気が乏しくて暗い映画館に、通路までびっしり人がいるの。そこでキューバ人と一緒に観て、「えー、もしかしたらこれかも!」と思った。それから観る映画観る映画、すごく新鮮でよかったんだよね。

脚注

  1. ^ ニコラエ・チャウシェスク。ルーマニア社会主義共和国の初代大統領。20数年にわたって独裁・強権を振るい、89年のルーマニア革命で失脚し、公開処刑された。
  2. ^ 京都市左京区一乗寺にあった名画座。88年に閉館。
  3. ^ 原題『El Hombre de Papel』。63年作品。イスマエル・ロドリゲス監督作品。
  4. ^ セルゲイ・エイゼンシュテイン。作品に『戦艦ポチョムキン』(25年)、『イワン雷帝 第1部〜第3部』(44、46年)など。

比嘉世津子 SETSUKO Higa

関西外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。株式会社神戸製鋼所、メキシコ日産自動車会社通訳、JICAコーディネーターなどを経て、99年に「Action Inc.」を設立。英語、スペイン語の通訳、翻訳業務のほか、ラテンアメリカ諸国の独立系映画の買付と国内配給、日本との合作映画の企画などを行う。おもな配給作に『永遠のハバナ』(05年日本公開)、『スリーピング・ボイス〜沈黙の叫び〜』(15年日本公開)、『映画よ、さようなら』(17年日本公開)など。01年の三池崇史監督作『天国から来た男たち』では通訳兼アソシエイト・プロデューサー、16年の『エルネスト もうひとりのゲバラ』では、キューバロケにおいて阪本順治監督の通訳、台本翻訳を担った。

原田満生 MITSUO Harada

1965年生まれ。映画美術監督。『顔』(00年/阪本順治監督)、『ざわざわ下北沢』(00年/市川準監督)で第55回毎日映画コンクール美術賞、第20回藤本賞特別賞を受賞。05年『亡国のイージス』(阪本順治監督)で第29回日本アカデミー賞優秀美術賞、07年『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(松岡錠司監督)で第31回日本アカデミー賞優秀美術賞を受賞。『テルマエ・ロマエ』(12年/武内英樹監督)、『北のカナリアたち』(12年/阪本順治監督)の2作品で第36回日本アカデミー賞優秀美術賞を受賞。『舟を編む』(13年/石井裕也監督)、『許されざる者』(13年/李相日監督)の2作品で第37回日本アカデミー賞優秀美術賞を受賞。同じく『舟を編む』では第68回毎日映画コンクール美術賞を受賞。その他、『深夜食堂』(15年/松岡錠司監督)、『散り椿』(18年/木村大作監督)、『日日是好日』(18年/大森立嗣監督)など。原田満生オフィシャルサイト

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池松壮亮(俳優)/比嘉世津子(Action inc.代表)/石井裕也(映画監督)

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